つけ麺大王 東新小岩店の他のレビュー
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さんの他のレビュー
コメント
どもです。
町中華は見ていて愉しいですね😲
タレや塩だってお玉で入れて毎回味が違うし(笑)
そこがまた好いんです✌
ラーするガッチャマン(通院中) | 2020年3月16日 07:44つけ麺大王って
行ったことないんですよ。
確か商用先の大崎にもあったような。。。
YMK | 2020年3月16日 07:54おはようございます🌞
こちらの記憶は殆ど残っていません。
今でも人気のお店があるんですね、明大前店懐かしいです☺️😉
銀あんどプー | 2020年3月16日 08:42つけ麺大王知りませんでした😅
町中華だったんですね🤔
NORTH | 2020年3月16日 09:13あら、最近、僕のルーツを辿ってる??
ここも立石の飲みの帰り、よく喰った!
当時はさぁ、イン〇●運〇って。。。
路駐も含めて、時代だねぇ~~~~ww
junjun | 2020年3月16日 12:35こんばんは!
『つけ麺大王』は自分にとってつけ麺の元祖なんですよね~!『大勝軒』ではなく。w
今でもこの「大王つけ麺」「大王ラーメン」「ロースつけ麺」とか食べたいです!
浅草『来々軒』の中華そばがあまりにも人気だったんで、多くの日本そば屋がマネ
してラーメンを置くようになったので、今でもその名残で蕎麦屋に中華ソバが置いて
あるとのことです。それくらい「中華屋」が貴重だった時代ですね。。。^^;
4門 | 2020年3月16日 18:38こんばんはぁ~♪
つけ麺大王は知りませんでした。
一大鎖町中華だったんですね。
その中でもこのお店が繁盛しているのは
やっぱり店主さんの腕なんでしょうね。
『淺草來々軒 偉大なる町中華』楽しみにしています(*^^*)
mocopapa(S852) | 2020年3月16日 19:42こんばんは。
学生の頃新橋にもありましたね~
何回か食べたんで懐かしいです。
kamepi- | 2020年3月16日 23:12こんにちは
一昨日、蒲田のつけめん大王の前を通りましたよ。
あまりよくは見ませんでしたが結果混んでた気がします。
つけ麺の名付け親ですか。
しっかりおぼえました^ ^
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年9月19日 16:32
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華
たりょす
高血圧グリーンモンキー麺
Hiroy
たける(喫煙者)






【これが噂の暖簾会~4】
町中華、とはこういうものではないのかな。
年配のオヤジが目の前で鉄鍋を大きく振る。チャーハンを炒めたと思ったら、さっと鍋を洗って吹いて、おもむろに肉と野菜を炒める。なんだか上の棚から“魔法の粉”かなんかを振りかけ、さらに大きく鍋を振れば、肉と野菜が宙を舞う。すぐ脇ではジュワッツと餃子が焼き上がる。オヤジはさっと素早く皿に移すのだ。かと思うと、外で待つ客に「今ね、空くからね!」と大声で言い、スタッフのオバチャンに「●番、相席にしてもらって!」と指示し、すかざず客に「すみませんね~混雑してるからね、勘弁ね!」と声を掛ける。
エンターテイメント。思わずそう形容したくなる。頂いた一杯も、なかなかのモノ。塩分過多とも言えるし、醤油ダレが多いとも言える。つまりはしょっぱくて濃いのだが、それがまた食欲を刺激する。
麺だって、この濃いスープに負けていない。噛み応えしっかりの黄色い中太麺である。大いにある「大王」系列の製麺所なのか? それとも埼玉の玉藻製麺のものか? そんなことはどうでもいいのだが。
肉野菜の炒め加減も申し分なし。しかもチャーシューまで載っている。このチャーシュー、少し硬いが味はイイ。
・・・隣に座った中年のオヤジ客は、焼肉ライスにフル規格のつけ麺を喰ってる。その後の客も「つけ麺セットね。中華丼はカラくして!」などと我儘を言う。それらを軽く受け止めるオバチャンスタッフ、即座に「つけセット! 中華丼、辛くしてね!」と厨房に伝える。厨房のオヤジは鉄鍋を振る手を休めることなく「はいよ!」と受け止める・・・
町中華、とはこういうものだと思うのだ。
1911(明治44)年、浅草のすし屋通りに「來々軒」が開業して以降、東京の町には現代で言う「町中華」がどんどん増え続けた。來々軒は東京の町中華の偉大なる店だった。
來々軒がなぜ東京の大衆・庶民に受けたのか。それは、美味しくて、安くて、お腹がいっぱいになって、提供が速い、ということにある。來々軒は木造二階建てであったが、大正半ばにはすでに、一階のみならず二階も満席、店には寄り付けないというほどの大繁盛だった。
美味しくて、安くて、速くて、腹一杯。それを忠実に守って提供しているこの店。
元祖中華つけ麺大王。
昭和生まれの世代のなら、この屋号をアチコチで見かけたのではないか。昭和50年代に都内を中心に、多いときは1日1店舗というペースで増殖を続けた一大鎖。1972年頃、荻窪に出店、1~2年後に今なお残る 元祖中華つけ麺 大王 総本店 の地に移転したそうだ。山岸御大が在籍した 中野大勝軒 で「つけそば」を食べて興味を持ち、試行錯誤の末に「つけ麺」と名付け売り出して、受けた。最盛期には70~80店舗があったという(「東京ラーメン系譜学」。刈部山本・著、辰巳出版。2019年11月刊)。2000年頃までには減少の一途をたどり、現在では、店舗を買い取った横浜・伊勢佐木町のほか、蒲田に二店、鮫洲、明大前、立石など9店舗が残るのみという。
ボクは職場が伊勢佐木町から近かったこともあり、伊勢佐木町の店は何度も前を通ったのだけれど、結局は行かずじまい。しかし、以前には江東区・砂町にも店があって (元祖中華つけ麺大王 砂町店)、ボクは2009年11月に食べてレビューを上げている。砂町の店は2014年頃廃業してしまい、ボクにとっては実に10年振りの「大王」という訳だ。
砂町の店も、熟練したオヤジが鉄鍋を振るっていた。当時でも外観は相当くたびれていたのだが、思いのほか喰ったら旨かったことを思い出す。
大王の鎖は小さくなってしまったが、この店は行列までできるのだ。近所のじっちゃんばっちゃん、リーマン、ガテン系のおっさん・・・今日もこの店は大衆の愛すべき町中華として、人々を喜ばせている。
オヤジさん、美味しかったよ!
(浅草・來々軒の創業は1910年、明治43年が通説です。昭和の初めに発行されたある書籍によれば創業年は翌年の1911年で、おそらく創業年が確認される唯一の書籍だと思います。これを含めて『淺草來々軒 偉大なる町中華』と題して近々ブログにて公開します)