コメント
お久しぶりですーーーーーーーーーーーー!
いきなりで沖縄ですか
今は最大に忙しいんです。ですがいつかマジでご一緒したいです
とまそん@ラーメン食べて詠います | 2022年7月21日 00:15ぶるぢっちゃんのウワサの町中華さん、こんにちは。
沖縄そばもそれだけで一つのテーマになりそうな面白い麺文化ですよね。
このお店の一杯の麺はたしかにほぼうどんっぽい・・・。このタイプの沖縄そばは食べたことはないかも。
ぬこ@横浜 | 2022年7月21日 05:37ラヲタになる前の2007年、沖縄旅行で美ら海水族館に行った時、タクシーの運転手さんに、美味しい沖縄そばの店に連れていってほしいと言ったら、ここの八重岳支店に連れて行ってくれました。
へえ、これが沖縄そばかと思って、ジューシーも食べた記憶。
店名を忘れてましたが、今回、ここの支店だと分かりました。
アルバムを見返したら、妻が「きしもと食堂」の箸袋もアルバムに挟み込んでくれてました。
明治38年と言えば、私を育ててくれた祖父が生まれた年です。
そんな色々が重なって、このレビューを楽しみにしていました。
大変だと思いますが、闘病頑張ってください。
RAMENOID | 2022年7月21日 06:26おはようございます^^
きしもと食堂の歴史、勉強になります。
こうやってラーメン史を調べている時がブルさん一番楽しいんじゃないですか。
沖縄はもう40年以上前に行ったきりで、暑いのが苦手な奥さんは
誘っても行きそうにないので、中々行けません。
体調整ったら、またお会いしたいですね。(*^-^*)
mocopapa(S852) | 2022年7月21日 07:01おはようございます
コメント書きながら寝落ちしてしまいました。
沖縄そばの最古参はこんなうどんっぽいビジュアル。
丸デブもそばかうどん?な感じ。
ラーメンは伝わった時の形がこんな風なんでしょうね。
これが正しい形で、今のラーメンはアレンジされまくった亜流。
亜流のアレンジを楽しむのが、今のラーメン食べ歩き。
自分は沖縄そばはラーメンじゃないと思ってましたが、レビューを読んでこのお店の形は本流に近い物なんだなと見つめ直すきっかけになりました。
お身体にお気をつけ下さい。良くなる様にお祈りしております。
あらチャン(おにぎり兄) | 2022年7月21日 07:37沖縄そばいいですね。
確かにおしゃる通り、うどんDBのほうが
しっくりくるかもしれませんね(;^_^A
沖縄から戻られて、何日か経過してるようですが、
以前からお誘いいただいている件、気長にLINE待ってますね
YMK | 2022年7月21日 07:46どもです。
モチベーションが良いんだと思いますよ👍
また新たな展開、楽しみにしてます💓
ラーするガッチャマン(通院中) | 2022年7月21日 07:49こりゃ、うどんLIKEっていうより、まんまだね(笑)
退院して体調良い時に、飲みますかね、軽く!
何人か誘って。。
junjun | 2022年7月21日 07:53おはようございます😃
カメさんの「30人」と「うどんDB」の件は
覚えてますよ。
今や美ら海に向かうラヲタの関所的存在ですね。
私はグループ行動で軟禁状態だったので行けてないんですが。
ラーメンの定義も専門店の境界も考え方それぞれ。
でもその方がロマンがあって面白いですね。
早期にラーメン食べられる日が来ますよう。
としくん | 2022年7月21日 09:14こんにちは。確かに自分も沖縄そばがラーメンのカテゴリーにするのは違和感あります。けれど豚と鰹出汁のスープや3枚肉は好みです。こちらは未訪問ですが、御殿山も歴史ありそうですね。
いたのーじ | 2022年7月21日 13:21RDBの基準がよく分かりません😅
少なくとも沖縄そばはラーメンとは思えないです。
NORTH | 2022年7月21日 14:36こんにちは。
此れは食べましたよ〜
本当にウドンDBに投稿しようか迷いました。
近代食文化研究会と言う所からアクセスがあったんですか。
ラーメンの歴史に関してはぶるまさんの右に出る人はいないんじゃないでしょうか。
これ迄の調査研究の成果をまとめて出版できるといいですね。
早くお元気になって退院される事を祈願してます。
kamepi- | 2022年7月21日 15:36こんばんは。
きしもと食堂ですね、存在自体がステキなお店ですw
ラーメンの麺を焼いて、焼きラーメンはOKで、焼きそばってネーミングに
なるとNGとか不思議なのはありますが、沖縄そば、、、ラーメンっぽくは
ないですが美味しいからRDBに投稿もできて良かったですw
近代食文化研究会からのアクセス、興味深いですね~。
本が出たら是非ゲットして熟読します♪
プリティ | 2022年7月21日 19:00こんばんは。
色々とお疲れ様です。
自らの足跡を残せたからこそ、
より一層、深みのあるレポになった事が、
十分に伝わりますよ!読み応えがあります。
それでは、また。
おゆ | 2022年7月21日 22:54
ぶるぢっちゃんのウワサの町中華



zuwatara
わた





強烈な日差しは、狂暴、という表現こそが相応しい。視線を泳がせば、ゆらゆらと陽炎があちらこちらで揺れているし、頭上から降り注ぐような蝉の鳴き声は、そうさね、こういうことを蝉時雨と言う。
・・・そう、此処は沖縄、本部。創業は、なんと、明治38年という「きしもと食堂」の真ん前。2022年7月上旬、のことである。
店の前で並び始めて30分ほど、ようやっと若いスタッフに店の脇の細い路を通ってください、と言われ、奥の座敷にボク一人だけ招き入れられた。3帖ほどの和室、四角い古いテーブル、ガタガタと音を立てるガラスの引き戸。これに黒電話とブラウン管テレビでも置こうものなら、ボクの子どものころ、だ。つまりはね、昭和30年代後半から40年代前半で、半世紀以上も前のこと。いやあ、本当に齢を取ったね。実感する。そうそう、プリちゃんが2020年春レヴューにて『レトロで画になる』と表現しているが、要はそういうことである。
ぼんやりとそんな思いに浸っていると、「おまちどうさま」と声がする。ほんの2分かそこら待っただけで届いた一杯を頂けば、それはもう、想像の範囲にきっちり収まるモノだった。
麺を啜れば・・・此処は3年前のkamepiさんのレヴューを引用しようか。つまり、
>平内麺でみしりと密度が高い
のである。スープを飲めば、まったくと言っていいほど脂がなく、あくまであっさりで、麺を含めて書けば、それはまた、こういうことでもあるのだ。
>ラーメンでは無くうどんDBにupしたく
だから、前回も書いたが沖縄そばをラーメンの類に分けることは、やっぱりボクは抵抗がある。
豚骨を相当量使っているはずなのだが、脂はないのはどういう訳か? スープはそれでもスープは染み入るようだし、角煮状の三枚肉は甘めの味付けでボク好み。パサつき気味の蒲鉾は妙にそれはそれで存在感もある。麺だきゃあ、ごにょごにょと言葉を濁そう、か。此処の食堂の麺の特徴は、かん水不使用。その代わり-----一説によれば戦前の沖縄ではかん水が入手し辛いという理由があったそうではあるが-----木灰(もっかい)、この店ではガジュマルなど、を燃やした際に出たを水に浸した上澄みを使用しているそうである。製法は創業時から一切変えていないというが・・・
沖縄そばがお好きな方は「隙なき一杯」「他店と明確に違う」と言った賛辞を贈るのであろうが、やっぱり、ボクは沖縄そばを含めて、沖縄料理全般が苦手なんであるのだよ。でも記憶に残る一杯であったことは、間違いない。ご馳走様。
・・・宿から美ら海(ちゅらうみ)水族館を経て、路線バスを利用して店に着いたのは12時前。並びは10人ほどだったが、帰り際に見ると、あらま30人超の大行列だ。沖縄に来る数日前にレンタカーを予約しようとしたらまったく取れず。前日搭乗した400近い座席を有するボーイング787ANA国内線の旅客機もほぼ満席状態だったから、観光客はかなり戻ったことは間違いない。にしても東京とは比較にならないほど強い陽射しが容赦なく照り付ける本部の街角で、30分以上待つのはしんどいだろうに。しかも何組かは泣く赤子を抱いている・・・親の身勝手もたいがいにしろよ、と呟くのは還暦過ぎの嫌味な爺の説教に過ぎないか。
・・・入店前に並んでいたときのこと。退屈しのぎにスマホでニュースを見れば、あろうことか安部元首相が凶弾に倒れたという。まさか令和の平和なこの日本で、という思いは日本人なら誰でも思うことだろう。ボクは元首相の支援者ではなかったが、得体の知れない不安感と喪失感が暫く抜けずにいた。それは東日本大震災の際の原発メルトダウン時に似た感情だ。帰り際、並んでいる人たちの多くはスマホを見ていたが、さて、このニュースをどんな思いで見ていることか・・・そんな思いを置いて、来た道を戻ってまた路線バスに乗る。パイン、マンゴー、島バナナ、パッションフルーツ等々、魅惑の果物がズラリと並んで安価だよ、と宿のオーナーに教わった名護の市場、に向かおうかね。
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さて。きしもと食堂、である。ボクが沖縄に来た最大の目的はこの店にある。先に触れたし、多くの方も書いておいでだが創業はなんと明治38年、西暦だと1905年。117年間営業を続ける店である。この店、解釈によって「日本の現役(現時点で営業中、の意)店」で、「最古(歴史が古い)のラーメン(呼称は支那そば、南京そば、中華そば等を含む)専門店」の可能性がある、とボクは思っていた。
しかし、最近、まあ此処2年ほど前からであるが、そうした店を特定することは不可能ということ感じている。というより、それを特定することはほとんど意味をなさないと思っている。詳しくは後日ボクのブログで書くつもりだが、その理由は単純だ。
一 「ラーメン専門店」の定義ができない
一般的に世間で「ラーメン専門店」と呼ばれる店の中の多くは、その他メニュー若しくはサイドメニューで「ラーメン以外」の商品を提供している。餃子、シウマイ、チャーハン、ごはん、あるいはワンタン、野菜炒め等々・・・「どれを出したら専門店でなくなるのか、なくならないのか」を決める機関もないし、そんな機関があったとして、その機関をだれが認証するのか、といった“決め”がない
二 同様、「ラーメン」の定義がない
たとえば、日本最大(つまり世界最大)のラーメン類投稿サイト・RDB(ココデス)でも、汁そばはもちろんだが、つけ麺、あえそば、まぜそば、冷やし中華はラーメン類。ラーメン専門店とされる店がパスタで多用される小麦粉(デュラム小麦のセモリナ粉)を使用した麵でトマトソースのあえそばを提供しても“ラーメン”の類。沖縄そばも、長崎ちゃんぽんもラーメン類ではあるが、一方“皿うどん”は違う。やきそば、と名称がついてもレヴューは受け付けない。具はなくてもあってもよく、素材は何でもOK。けれど、一般的に「ちゃんぽん」をラーメン類とする人は少数派ではなかろうか? 沖縄そばも同様で、麺類、麺料理ではあるけれど、それぞれ「ちゃんぽん」「沖縄そば」という“食べ物”だ、と考える人が多いのでないか。
ともあれ、ラーメンの定義が定まらず、ラーメン専門店も同様である以上、これから以下を書くことに意味があるか? と問われそうだが、「そういう店があったなら、此処かも」という程度にお読みいただければ幸いである。
しかしながら、RDBはそれを詳細に書くところでもないし、例によって大変な長文になるので、改めてボクのブログの『ラーメン歴史館』(https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma)にて公表することとしたい。であるからして、今回はごくごく簡略したものである。
さて。時折、「日本の現役店で、最も古いラーメン専門店は」といった問とその解とされる記述をやっぱり結構見かける。先日もあるラーメン評論家が尼崎の大貫 本店 だ、と書いていた。「大貫」をそう紹介する記述は多いのであるが、それは明確に誤りである。ボクは淺草來々軒のことを調べ始めて以降、ことラーメンの歴史に関しては、ラーメン評論家や横浜の博物館の発言・記述等はほとんど信用しない。來々軒が「日本初のラーメン専門店」とされた件もそうであるが、ちょっと調べれば簡単に分かることなのだが・・・
1.「大貫」は開業時も現在も、明確に「ラーメン専門店で」はない。
「大貫」は大正期の創業時に、神戸所在の20年超の営業歴のある中国料理店から調理人を招いたこと、時代背景などからして「ラーメン専門店」であった可能性はほとんどないし、現在でも「五目そば」「やきめし」を出す、店頭の黄色い看板にそう書いてあるように「中華料理」屋である。
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/bc1653883d33bc34e93f732b678fa9c8
2.「大貫」の公式サイトで、店自体が「日本最古」であることを把握できていない、と明示している。
https://www.daikan-honten.com/良くある質問.html
次に沖縄そばの歴史を簡単に見てみる。
国立国会図書館のデータベース(注1)によれば明治20年代には、前之毛(現在の上之蔵町)に唐人の経営するそば屋があった、そうだ。さらに『明治23年の「沖縄県統計書」には、蕎麦屋の記述がある』。当時の沖縄の蕎麦粉生産事情等を考慮すればそれが「日本蕎麦(屋)」であった可能性は低い。また沖縄は、玉村豊男「食の地平線」(注2)によれば、14世紀には沖縄と中国大陸との交流は盛んになっており、大陸からの客には豪華な(中国)料理でもてなしていた、との記録もあるため、日本本土より相当早い時期に大陸の食文化は入ってきたと容易に推察できる。
次に資料(記録)がきちんと形で残る、もっとも古い「支那そば」の記録であるが、以前書いたボクのブログ(注3)にもあるのだが、明治35年4月に開業した那覇市警察署下りの「支那そばや」であることは確かである。
この「支那そばや」の「資料」とは、同年同月の琉球新報の広告である。文面は以下のとおり(『』内()内記述はボク)。
『御披露
一 支那そば●ニ支那料理數々(数々)
右ハ今般清國ヨリ料理人ヲ招キ左ノ處(ところ)ニテ開業(以下略)・・・
ひいきのほど偏に伏テ奉(り)願上候
那覇警察署下リ肥料會社裏
四月九日 支那そばや
各位 敬白』
(● は判読不能)
つまり、淺草來々軒開業の8年も前の明治35年4月には、那覇警察署近くに「支那そば」の店があった! 専門店かどうかはわからないし、その味もさて、塩味なのか醤油なのか、脂ギトギトなのかさっぱり系なのか・・・ともあれ、店が存在したことは間違いない。このあと、明治38年にこの「きしもと食堂」が創業する。のだが・・・
明治35年創業の「支那そばや」は6年ほど営業していた、とか、「支那そばや」の屋号は「観海楼」だったとか、「支那そばや」で奉公していた比嘉牛(人名である)がベェーラーそば「比嘉店」を開業して「観海楼」と客の争奪戦を展開した結果比嘉店が勝利したとか、支那そばの名称は支那そば⇒唐人そば⇒琉球そば⇒沖縄そばと変遷したとか、それらの結果、最初は大陸系の味だった「支那そば」は明治末期に『現在の沖縄そばとして、名称も味も定着したのではないか』(注4)等々、様々な記録を見ることが出来るが、さて、何が真実かは現時点では定かではない。今調べているので、しばしお待ちいただきたい。
さて、「きしもと食堂」、である。創業者の祖先は大陸の出身。明治維新、そして1879年の、いわゆる”琉球処分”(注5)など激動の時代を経て、曽祖父母は那覇を離れ、本部の地にて支那そばと魚の天ぷらの店を開いたとか。
現在、沖縄そばの店も、多くはかん水を使うのだそうだが、きしもと食堂に関しては創業から製法を変えていないという。また、創業時の”そば”はやはり”支那そば”として売っていたという。現在も品書きは”そば”と”ジューシー(炊き込みご飯)”のみである。
本店はクローズしたが別経営の店が複数残る「聘珍楼」、横浜中華街「萬珍樓」、都内の「維新號」、これらの創業は明治38年以前ではあるが、創業時より紛れもなく「中国料理店」。ならば。
「きしもと食堂」、この店こそ、「現役最古参のラーメン専門店」であるかも知れない。ただ、先に書いた通り、さて「ラーメン」「ラーメン専門店」の定義を考えれば、さて?
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皆さま、こんばんは。沖縄から戻ってもう10日も経っちゃいました。しかしボクはこの原稿をまた病院で書いています。入院はもう7日目ですわ。沖縄から戻ってから体調がまったく優れず。挙句40度近い熱が下がらなくてね、ああこりゃコロナダロ? と思ったのですが・・・。結論を書けばその検査結果は陰性で、要は がん から派生した疾患、まあたいしたことのない炎症でね、簡単なオペで済みました。ただ、絶食は継続中、明後日あたりから全粥より食事再開になるので、退院は来週前半になりそうです。書籍資料が自宅にあるから全部は書けませんが、入院中に『オキナワ拉麺物語』(仮称)でも書いてますわ(笑)。
なお、「執念の調査が解き明かす新戦前史 お好み焼きの物語」などの著作がある近代食文化研究会様よりご連絡を新たに頂きました。淺草來々軒にまつわる件です。また新たな展開があれば嬉しいのですが。そうなれば、またご報告します。
何度絶望しかけても、それでもなお人生は、面白い。
(注1)国立国会図書館データベース⇒レファレンス事例詳細『「沖縄そば」について、そば屋の始まりを知りたい』(https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d)
(注2)玉村豊男「食の地平線」⇒文春文庫1988年1月刊
(注3)以前書いたボクのブログ⇒支那そばは この国からいつ消え、いつ戻って来たのかな? 甲府の拉麺屋にて』
https://blog.goo.ne.jp/buruburuburuma/e/e2c6247586c553177f633147bef3ffc6
(注4)沖縄そばとして名称も味も定着⇒こうした記事は1994年(平成6)年2月22日付琉球新報夕刊などで見ることが出来る
(注5)いわゆる”琉球処分”⇒明治政府が琉球王国を沖縄県として日本に編入したこと。沖縄併合、琉球併合とも呼ぶ。